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【京都音楽喫茶記録帖について】

1978年4月から1982年3月までの4年間、京都で学生生活を送らせて頂きました。

京都で学生生活を送るようになって一番衝撃的だったのは「音楽喫茶」との出会いです。高校時代まで仙台で過ごしていたのですが、ちょっと面倒くさい家庭環境もあり「喫茶店」そのものが不良のたまり場、また「ロック」そのものがやかましい音楽というイメージを刷り込まれており、そもそも「音楽喫茶」という存在そのものを知らずに生活をしていました。後から調べると仙台にも「ピーターパン」というロック喫茶や「カウント」というジャズ喫茶があるのですが、その存在を知ったのははるか大人になってからのことです。

京都の「音楽喫茶」で一番最初に行ったのは四条木屋町を南に行ったところの「ジャム・ハウス」。サークルの友人に連れて行ってもらいました。「何かヤバそうな場所」というイメージで入った店内はビックリするほど健全な雰囲気。高瀬川が見える西側の窓からは夕日が差し込み店内はとても明るい。同年代の女子大生のお客さんもかなりいて、不良のたまり場と言ったネガティブなイメージだった「音楽喫茶」がポジィティブなイメージになった瞬間でした。すっかり「音楽喫茶」の魅力にはまってしまった私は、タウン情報誌で場所を調べては新しい「音楽喫茶」を開拓する日々でした。楽しかったな~。

最近、当時の「音楽喫茶」はどうなっているんだろうと色々と調べてみるのですが、そのほとんどはすでに無くなっています。と言うか、場所の記憶すら曖昧になっています。昔の京都の「音楽喫茶」についての情報交換をする掲示板もあることはあるのですが、お店の名前は分かるけど、どの辺りに存在していたかの情報に乏しいのが現実。という訳で、店名だけでなく、実際にどこにあったのか、また当時の情報誌にはどんな紹介をされていたのかなどの詳しい店舗の状況を次の世代に残したく、このサイトを作ってみました。1970年から1980年の京都の音楽事情を知る際の参考になれば嬉しいです。

2023年5月 京都音楽喫茶記録帖編集人 SHIMUCHIN_33

Chiba City SHIMUCHIN_33

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