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Mojo west~つっぱり野郎とアーティストたちのロックパラダイス~

  • sunsetgang
  • 2023年11月13日
  • 読了時間: 2分

この本は、”MOJO・WEST”の立ち上げに関わっていらっしゃった木村英輝氏による、1968年から72年までの5年間の国産ロック・フェスの回想録です。

私が京都で学生時代を送るようになる7年前、1971年3月20日に京大西部講堂で”MOJO・WEST”というロックムーヴメントが誕生しました。PYG(沢田研二と萩原健一など)のほか、村八分、内田裕也、フラワートラベリング・バンド、頭脳警察などなど、そうそうたるバンドが出演しています。正直言うと、”MOJO WEST”という言葉は知っていましたが、実はほとんど知識がありませんでした。その点からも、1970年代初頭の京都の音楽シーンの流れを知るには最適な書だと思いました。

そして本書には、1970年代初頭に京都の音楽シーンに影響力があった3つの喫茶店が紹介されています。


「ZIGZAG」

・銀閣寺の近くに「ZIGZAG」という喫茶店があった。ここは「村八分」のメンバーを始め、京都の

 ツッパリ野郎、ロッカーたちが集まるロック喫茶だった。

・宝ヶ池へと通じる北白川通りが開通、東京の田園都市に似た閑静な郊外型飲食店がカッコよいと思い

 始めた頃だった。銀閣寺、市営バスプール南側に、喫茶店、ZIGZAGがプレイスポットの走りとして

 登場した。荒塗りされた漆喰壁の空間に、オイルステン、手作り木工の机と椅子、全ては新しく洒落

 ていた。

・1971年にはロックイベント、MOJO・WESTの拠点となり、京都のロックシーンの要の場となってい

 く。


「琥珀」

・高瀬川のほとり、京都西木屋町の喫茶店「琥珀」でチャー坊こと柴田和志と、フジオこと山口富士夫

 に会うことになった。何か私に相談したいことがあるというのである。窓の下を流れる高瀬川のせせ

 らぎを眺めながら二人を待った。


「縄文」

・ロックはまだまだマイナーだった。TVやラジオでは取り上げられなかった。ロックを聴くにはロッ

 ク喫茶に行くしかなかった。そして、ロック喫茶を作った男たちがいた。

・土地は10坪足らず、場所は同志社学生会館の前・・・予算はない。好きなことをやりたいだけ。

 無鉄砲だった。・・・古材や廃材を使って作るしかなかった。大工としての技術はなかった。

 「下手うま」でやるだけだった。それが良かった。古色の渋い和風空間でロックやブルースを楽しむ

 ユニークなロック喫茶「縄文」が誕生した。

・このロック喫茶「縄文」はやがてMOJO・WESTと共に京都のロック・ムーブメントの火付け役とな

 るのだ。


私が京都に来た時には、すでに「琥珀」や「縄文」は姿を消していました。「ZIGZAG」は…まだお店はあったものの、とってもお洒落なカフェって感じで、この本で紹介されているような尖がったイメージは皆無でありました。この「ZIGZAG」の現在なのですが、Googleのストリートビューを見ると店の看板はありますが、営業しているかどうかは不明です。



 
 

Chiba City SHIMUCHIN_33

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