top of page

左京区ブルース

  • sunsetgang
  • 2 日前
  • 読了時間: 2分

昨年1月に亡くなられた、ブルースハウスBBや憂歌団のマネージャーであり、関西ブルースムーヴメントの生き証人でもある「奥村ヒデマロ」さんの自主制作本。音楽喫茶が集まっていた、百万遍、北白川、一乗寺あたりの70年代の左京区の様子が描かれています。私自身、1978年の4月から京都に住み始めた訳ですが、京都の音楽シーンに目覚めたのは翌年に入ってからのことで、その時にはすでに名を馳せた多くの音楽喫茶が店を閉めていました。

この『左京区ブルース』には、私が知りたかった、体感したかった当時の様子が具体的に書かれていたりします。


“ハードロックの「ポパイ」。英国系プログレッシブロックの「スタディルーム」。ストーンズばかりかかる「縄文」。ウェストコースト系の「カントリー・コンフォート」、「ジャムハウス」・・・。「ポパイ」は夜になるとパンが配られた。お客で驚いたのは「縄文」で、帰りに赤ヘルをかぶって出ていくお客がいた。のちに入り浸ることになる「MAP」はマハビシュヌ・オーケストラやウィッシュボーン・アッシュなど出たばかりの新譜がよくかかっていた。”

“ジャズ喫茶は「BIGBOY」、「カルコ20」、「ZIGZAG」、「シアンクレール」。古いジャズやオールドタイムなインテリアでどの店もガタゴトと市電の走る街によく似合っていて、ちょっとしたタイムスリップの気分だった”


私が京都にたどり着いた前後1~2年の間に、京都における音楽の風が大きく変わってしまったのかもしれません。


ree
ree
ree

 
 

Chiba City SHIMUCHIN_33

©2023 京都音楽喫茶記録帖。Wix.com で作成されました。

bottom of page